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石田雅樹氏への応答

橋本努200610

 

 

 石田雅樹氏は、氏のブログのなかで、拙論「21世紀最初の政治思想」『創文』に対する疑問と批判を提起されていますので、ここに応答します。

 この拙論において私は、かなり挑発的に大きな問題を提起しましたので、いくつかの反響を耳にしました。ここでは、私がもっとも挑発的に書いたアーレントと新保守主義の関係について、とりわけアーレントで博士論文を書かれている専門家の石田氏への応答というかたちで、いくつか論点を敷衍します。

 まず、ブログやホームページに批判や疑問を載せる場合の一般的な問題点として、いつでも消せるという脆弱性があります。そこで以下に、氏の文章を全文引用させていただきます。(かなり長いのですが、ご容赦ください。)

 

September 26, 2006

新保守主義(ネオコン)とは何か:橋本努「二一世紀最初の政治思想――ヒンメルファーブとシュトラウス」

 

・橋本努氏は1967年生まれ。著書に『自由の論法:ポパー・ミーゼス・ハイエク』(創文社、1994年)、『社会科学の人間学』(勁草書房、1999年)

 

・橋本努「二一世紀最初の政治思想――ヒンメルファーブとシュトラウス」『創文』(20066月号)の要点は以下のようなものである。

 

 @新保守主義(ネオコン Neoconservatism)の思想が、学術的に正面から検討されていないこと、そのことへの批判

 A新保守主義を代表する思想家として、ガートルード・ヒンメルファーブ、レオ・シュトラウスが重要であること。「ヒンメルファーブは国内政策の理念、シュトラウスは対外政策の理念をそれぞれ代表して」(p.3)いること。

 Bしかしながら、レオ・シュトラウスと新保守主義の関係を検討した研究論文は未だ著されていないこと

 Cまた、新保守主義の思想は、多様な思想が交錯していいること。例えば、「新保守主義の思想は、これをハンナ・アーレントの正当な継承として理解することもできる」(p.3)こと。

 

・確かに、新保守主義の思想は、検証されなければならない問題であることには疑いない。しかしながら、この論稿では、紙数の制約もあるのか、重要な論点が捨象されており、多くの疑問を感じた。

 

(1)「新−保守主義」の「新 Neo」とは何か? 何が「新しい」のか?

 すでに流通している言葉だから説明は不要とされているのか、何をもって「新−保守主義」とするのかが明確にされていない。「新保守主義=新自由主義=市場万能主義+軍事主義」ではない(p.2)らしく、現在の「新・保守主義」=「1960年代以後のアメリカ保守主義」=「シュトラウス+ヒンメルファーブの思想+α」というように読み取れるのだが、果たしてそれでよいのか。

 Neo-conservatismという言葉自体は、マイケル・ハリントン(雑誌Dissentの編集メンバー)が、戦後の新たな保守主義の潮流に対して批判的に用いられたのが最初で、それを、アーヴィング・クリストルが自己の政治スタンスを示すものとして採用したとされている。だが、クリストル自身は、彼の考えが現在の共和党の中心イデオロギーの一つとなることを想定していない。近年の注目は、息子ウィリアム・クリストルや、共和党の政治家(Jack Kepmp, Bob Doleなど)の再評価が大きいとされている(以上、Shadia B. Drury, Leo Strauss and the American Right, p.138ff)

 

アメリカの「保守」思想において、分裂・対立・位相があること、つまり「何を保守すべきか」という点について大きな違いがあることは、アメリカ研究において指摘されている(例えば、古矢旬『アメリカ 過去と現在の間』では、アメリカ保守主義がIからIVに類型化され、「ネオコン」と「保守」との連関が描写されている)。橋本氏の議論は、新保守主義が内包する思想の多様性には若干言及されているが、「保守」自体の分裂や位相の変化について言及されていないため、現在の「新・保守主義」と従来の「保守主義」との同一性/差異がよく分からなかった。

 

 (2)レオ・シュトラウスは、「新保守主義」の思想に影響を与えたのか?

 橋本氏が規定するように、レオ・シュトラウスは新保守主義を代表する思想家なのか? 橋本氏はその内容については別稿に委ねるようなので詳細はそれを見てからにしたいが、少なくとも「レオ・シュトラウスと新保守主義の関係を検討した研究論文は、実はまだ著されていない」というのは(文脈的には「日本においては」ということなのかもしれないが)疑問を感じた。

 小生の管見だけでも、前出した Shadia B. Drury, Leo Strauss and the American Right,1997 、またDrury, The Political Ideas od Leo Strauss, 2005(Updated edition)のイントロでは、シュトラウスの「公教−秘教」、そしてシュトラウスとシュトラウス学派と関係、現代の新保守主義との関連について興味深い言及が行われている。

また、柴田寿子「『グローバルなリベラル・デモクラシー』と『ワイマールの亡霊』:レオ・シュトラウスの浮上は何を物語るか」(山脇直司・丸山真人・柴田寿子(編)『グローバル化の行方』2004年)では、こうしたドゥルーリィに代表されるような、レオ・シュトラウスとアメリカ新保守主義とを接続する議論への批判が行われている。添谷育志「新旧論・ノート」(『現代保守思想の振幅:離脱と帰属の間』1995年)では、シュトラウス学派とドゥルーリィの議論に触れながら、シュトラウスにおける「保守」の意味が検証されている(シュトラウスとアラン・ブルームの教育論については、前掲の添谷氏の論稿の拙書評を参照)。橋本氏のシュトラウス論が、このようなこれまでの研究をどのように位置づけ超克するものなのか、別稿を興味深く見守りたい。

 

 (3)新保守主義の思想はハンナ・アーレントの「正当な後継者」か?

 (1)の「何をもって新−保守主義」とするか、という論点にも関係しているのだが、多くの疑問を感じた。

 

 例えば橋本氏は、(a)ナチス・ドイツ=ソビエト共産主義とするアーレントの「全体主義」論、(b)アメリカ独立革命の意義を強調する「アメリカ革命」論、(c)福祉国家政策を非・公共的なものとする「公共」論などを、その論拠としている。確かに、アーレントの出自が左派知識人でありながらも、その議論がある部分において「保守主義」に属すると理解され得る点は、正当であると思う。

 

しかしながら、アーレントの「全体主義」は「反共主義」ではないし、マッカーシズムと距離を置きながら「アメリカの再生」を強調するクリストルに対しても、公然と批判していたようである(エリザベス・ヤング=ブリューエル『ハンナ・アーレント伝』371頁)。アーレントによるアメリカ革命の評価も、当時の「保守主義」における解釈文脈、「アメリカをもっとアメリカらしくしよう」という反リベラル的文脈とは大きく異なり、新しい政治的始まりとしての action 〔=行為・活動〕を制度化したアメリカ建国精神への賛美というコンテクストが大きい。そしてこのアーレントの革命論が、アカデミズムでは批判を浴びたものの、1960年代からのアメリカ学生運動において学生に読まれ受容されたことなどを考慮すると、リベラル派とも解されるだろう。(それゆえ、見方を変えれば、橋本氏とは反対に、サミットを「ネオコンの世界陰謀」として抗議運動を行う市民運動・学生運動の側を、アーレント思想の「正統後継者」とみることも可能かもしれない)。

 

川崎修『ハンナ・アレント』(244ff参照)で描写されているように、1960年代における公民権運動、学生運動においてアーレントが微妙な位置にいたこと(例えば、選挙人登録における市民権の平等化、反戦運動という点における賛成、教育行政での人種平等強制、アフォーマティヴ・アクションなどにおける反対)、それが「政治」と「社会」とを区分するその独特の議論に拠るものであることを考慮するならば、アーレントを「保守主義」としてすんなり承認することは容易ではない。

 

「新しい市民運動」がアーレントの議論から自分たちの「運動」に使える部分を用いた手法(フェミニズム論に引きつけてアーレントを論じるものも多々あるが、玉石混淆だと小生は感じている)に対抗して、「新・保守主義」がアーレントから「使える」部分を探そうとしている――そして橋本氏自身はおそらくこうした「新保守主義」に批判的な立場にある――と理解しても、やはり現代アメリカの「新・保守主義」を「60年代以後の保守主義」を媒介にして「アーレントの思想」と結びつけようとするのは、アクロバティックな牽強付会であると感じた。 思想家の思想が、思想家の思惑を超えて、多様な「解釈」を生み出すことは思想の運命だと思う(アーレント自身も古代ギリシャ解釈などでかなり怪しい議論を展開しているだが)が、その「解釈」が「使える」ものかを判定する責務が研究者にはあるように思える。その点、『自由の論法』や『社会科学の人間学』などで周到・精緻な方法論を展開した橋本氏がこうした議論を展開したことが不思議でならない。

 

 

 私は拙論「21世紀の政治思想」において、アーレント研究者からの応答を暗に誘発しましたので、この点、石田氏からの応答をとても嬉しく思います。

 まず、これは石田氏への応答ではありませんが、拙稿には事実関係として、ひとつ誤りがあります。それはクリストルの著作には一つ翻訳があるということです。『活路』です。私はこの本を、題名から判断して別の人が書いたのではないかと思いこんでしまったのですが、誤りでした。この点をご指摘いただいた井上一夫氏に、感謝申し上げます。

では第一の論点ですが、この問題については、小生は拙著『帝国の条件 自由を育む秩序の原理』(弘文堂より20074月刊行予定)にて詳述する予定です。どうぞご笑覧くださいませ。

 第二の論点ですが、これは私が少し反省するところがあり、「本格的な研究論文」と呼ぶべきだったかもしれません。Druryのイントロなど、私も参照しましたが、しかし研究論文というほどではありません。しかしこうしたことを述べはじめると、なにが「研究論文」として認められるのか、という程度問題を提起してしまうので、私はもっと慎重に書くべきだったでしょう。この点、石田氏のご批判に感謝します。

 第三の論点ですが、詳しく応答させてください。

 

(1)「アーレントの「全体主義」は「反共主義」ではない」という論点ですが、私はアーレントが「ナチス・ドイツとソビエト共産主義をともに「全体主義」として批判した」と述べているだけで、アーレントが「全体主義」と「反共主義」を同一視したとは述べていませんし、アーレントが「共産主義」の理念に反対したとも述べていません。

 

(2)[アーレントは]マッカーシズムと距離を置きながら「アメリカの再生」を強調するクリストルに対しても、公然と批判していた」という論点ですが、私は「[アーレント]の思想は現時点からみると、マルクス主義から新保守主義への思想的転換を用意した」と述べているのであって、アーレントが新保守主義者だったとは述べていません。この点について、石田氏と認識の相異はないように思います。

 

(3)「アーレントによるアメリカ革命の評価も、当時の「保守主義」における解釈文脈、「アメリカをもっとアメリカらしくしよう」という反リベラル的文脈とは大きく異なり、新しい政治的始まりとしての action 〔=行為・活動〕を制度化したアメリカ建国精神への賛美というコンテクストが大きい」という論点ですが、当時の文脈として「反リベラル」の側は「保守」と「新保守」に分裂しつつあったことを考えると、アーレントが「当時の保守主義とは異なるということは、その限りにおいて、アーレントを新保守主義の側――新しい政治的始まりとしての action 〔=行為・活動〕を制度化したアメリカ建国精神への賛美を支持する立場――に近いところに位置づけるのではないでしょうか。

 

(4)1960年代からのアメリカ学生運動において学生に読まれ受容されたことなどを考慮すると、[アーレントは]リベラル派とも解される」という論点ですが、もともと新保守主義の中核的な担い手たちもリベラル派から分岐してきたことを考えると、リベラル派であることと新保守主義であることは、政治的にそれほど遠い位置にあるわけではありません。また私は、アーレントをリベラル派として解釈しうる点を否定していません。

 

(5)「橋本氏とは反対に、サミットを「ネオコンの世界陰謀」として抗議運動を行う市民運動・学生運動の側を、アーレント思想の「正統後継者」とみることも可能かもしれない」という論点ですが、実はこれがまさに、私が問題提起した事柄なので、以下の論点(8)と合わせて論じます。結論から言えば、そのようにみることは可能です。しかしどちらがより「正当」ないし「正統」なのか、石田氏にまず判断をお願いします。その上で正当/正統とは何かを争うことになると思います。

 

(6)1960年代における公民権運動、学生運動においてアーレントが微妙な位置にいたこと(例えば、選挙人登録における市民権の平等化、反戦運動という点における賛成、教育行政での人種平等強制、アフォーマティヴ・アクションなどにおける反対)、それが「政治」と「社会」とを区分するその独特の議論に拠るものであることを考慮するならば、アーレントを「保守主義」としてすんなり承認することは容易ではない」との論点ですが、これは先の(2)の論点と同様に、つまり私も、アーレントを保守主義者としてすんなり承認しているわけではないのです。この点について石田氏と認識の相違はありません。

 

(7) 「現代アメリカの「新・保守主義」を「60年代以後の保守主義」を媒介にして「アーレントの思想」と結びつけようとするのは、アクロバティックな牽強付会であると感じた。」との論点ですが、おそらく先の(2)(6)の論点に対する誤解が解消されれば、私の述べていることはそれほどアクロバティックではないでしょう。(あまり参考にはならないかもしれませんが、副島隆彦著『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社α文庫、76-77頁)でも、アーレントと新保守主義の関係が述べられています。)

私は、アーレントを新保守主義者だと述べているのではなく、「アーレントの思想は、共産主義とアメリカのリベラル文化の両方に対抗する拠点として、新保守主義の揺籃期を守った」と述べているのです。アーレントがリベラル派に利用されるとしても、その利用は、アーレントが「リベラル文化」(この言葉は「リベラル派」とは意味が異なる)に対抗する、という論点を否定しないだろうと思いますし、また私は「揺籃期を守った」(ウェーバー)という言い方をして、アーレントの思想的・政治的意図と、新保守主義者の思想的・政治的意図が異なることを認めているのです。

 

(8)そして最後に、「思想家の思想が、思想家の思惑を超えて、多様な「解釈」を生み出すことは思想の運命だと思う(アーレント自身も古代ギリシャ解釈などでかなり怪しい議論を展開しているだが)が、その「解釈」が「使える」ものかを判定する責務が研究者にはあるように思える」との論点ですが、ここがまさに私の問題提起と重なります。

 私の狙いは、解釈責任の一部をアーレント研究者に負わせる、という挑発的なものです。石田氏にも恐縮ではありますが、責任を負わせてしまっています。つまりこういうことです。

私は拙稿のなかで、「新保守主義の思想は、これをハンナ・アーレントの正当な継承として理解することもできる」と述べました。そしてその特徴として、@ナチス・ドイツとソビエト共産主義をともに「全体主義」として批判した点、Aアメリカ独立革命こそ近代における最も正当な平和的革命であるとする見解、B「権力からの自由」よりも「正当な権力を創生すること」への関心、C体系的書物の執筆よりも演劇的-政治的なパフォーマンス(活動)を評価する態度、D教育における人種分離政策の支持、生命を配慮する福祉国家を非公共的なものとして批判する見解、Eエリートたちの高貴な精神にもとづく支配体制の確立、を挙げました。

新保守主義のこれらの特徴は、アーレントの思想を自由に解釈して新たに綜合されたテーマであり、必ずしも「正当な継承」と呼べないかもしれません。しかし私が「正当な継承として理解すること『も』できる」というのは、弱い言い方ではありますが、私の思想史的判断であり、これは例えば、カーズナーの思想がミーゼスの思想の正当な継承として理解することもできる、というのと似ています。ミーゼスの思想を正当に継承したと主張するのは、ロスバードです。しかしロスバードもまたミーゼスを批判しているのであってミーゼスと同質の思想ではありません。にもかかわらず、彼は継承の正当性を主張しています。これに対してカーズナーは、謙虚な人物であり、ミーゼスの正当な継承者であるのかと問われれば、ストレートに「イエス」とは答えないでしょう。同じことがクリストルのアーレント受容にも当てはまるのではないか、と私は考えます。

 さて問題は政治に関わる解釈です。おそらく新保守主義がアーレントの正当な継承であると言われれば、にわかには納得しない人が多いでしょう。私は拙論において、「誰がアーレントの正当な継承なのか」という問題を喚起しているのです。現代では、リベラル左派の側から受容されることの多いアーレントですが、では受容者たちが「正当な継承か」と問われれば、ストレートに「イエス」とは答えないかもしれません。「正当な継承」という表現は、たんにアーレントを研究するにとどまらず、アーレントの思想を現代に活かすような、政治的主張性を求めるものです。ですから、「正当な継承」をめぐって、新保守主義者とアーレント研究者たちは、もっと政治的に争う必要がある、というのが私の問題提起です。私は直接には述べませんでしたが、おそらく石田氏もこのメッセージを敏感に読み取ったがゆえに、拙論に対する長い批判を展開されたのだと思います。

 日本では例えば、仲正昌樹氏が『「不自由」論』のなかでアーレントを延々と論じていますが、では仲正氏のようなアーレント継承者が正当なのかどうか。私は新保守主義者たちのほうが、アーレントの「毒々しい部分」を継承し、しかも「多くの重要な論点」を継承したと感じていますが、この私の判断を批判するためには、新保守主義よりもすぐれた意味で、アーレントを継承している人がいなければなりません。現在のところ、新保守主義者たちはアーレント思想の一つの正当な継承であるのだから、これに対してアーレント研究者たちは、別の正当な継承を提示する政治的責任がある、というのが私の立論の主旨です。なお私も、自分自身の立場から新保守主義を批判しています。新保守主義の思想に対して、いかなるオルタナティヴを提示するのか。この問題をいっしょに探究していただけると幸いです。(ただアカデミックな研究に自己を限定するかぎり、思想の「正当な継承」という問題は生じないので、問題の本質は政治的であり、闘争的なものである、ということを付け加えておきます。)

 

 以上が私の応答です。私がどの程度まで「周到」かつ「政治的」に論じているか、ご理解いただけたでしょうか。